2010年4月20日火曜日

30歳引きこもり殺人事件 1

先日、30歳の引きこもり男性による殺人事件があった。

この事件で少々ひきこもりに対して世間が目を向けるようになった感じがする。

一時的な注目かもしれないが、引きこもりが若年だけではないと知らしめた感じはある。
「30歳になってもひきこもり?」と思うだろうけれども、引きこもりは若い人だけの特権ではない。
学生の引きこもりは不登校と言う形で注目されるケースが多いので発覚しやすいだけで、40代でも50代でも引きこもりは居る。

この引きこもりの原因はウツや不安障害や人格障害などからきているものもあるので、引きこもりが病名ではないし、すべての引きこもりを身勝手なものと判断するのは良くない。

今回のようなケースはまさしく「常識的になれ」「いい加減大人になれ」「うらみがあろうとも自己責任だ」「年齢を考えろ」とかの一言ですむような簡単な話ではないのだ。

そのようなコメントをする人ほど、もうすこし物事を深く考えるべきで大人な視野を広げななければならない。

なんと言っても彼らはとてもつらいのだ。
その家族も外見から見える以上につらいのだ。

親はその子を怖いと思い子供は威嚇して状況を悪化させる。

それを単純に外から見れば、親を怖がらせる子が悪いように見えるだろう。


しかし、現実は違うのだ。


子供を引きこもにさせてしまう育て方をしてきてしまったし、親を怖がらせるような態度を取るように育ててきてしまった。

その根本に目を向けなければ、この親子関係も、この引きこもり状態も改善されない。

子に怯える親はここで反省しなければならない。


「いくら子供時代に育て方が悪かったからと言っても、もう成人しているのだから、いまの生活(性格、行動)の責任は親が持つ必要は無い。本人の問題だ」と言う人が多いのも悲しいが事実。

「成人したらもう親の責任ではない」「もう親のせいにする年齢ではない」という親ほど、その考え方自体を考え直す必要性が出てきている。

ここで注意してほしいのが、「親が悪い」というのではなく、「親がその子に選んだ育て方がその子には合っていなかった」ということだ。

事実、本人も家族も気づいていないが、親を威嚇する本人が親を恐れていて、その反動で威嚇していることもある。
その「おそれ」は親だけでなく社会に対してまで発展してしまい、外界との交流が持てなくなってしまっていることが意外にも多いのだ。

ではなぜ、恐怖を威嚇で表すのか?

これこそ親の選んだ育て方による。

当時、親は子供に対して良かれと思って選んできた育て方であったことは確かであり、悪意はまったく無い。
その子も、それをありがたく思っていたことも確かである。

だから当時、間違いに気がついたとしても、育て方を修正するのは難しいことでもあった。

「三つ子の魂百までも」とあるように、子供のある年齢の時期の育て方で、子供の人生の中核となる性格、考え方、言動、交流方法が出来上がってしまう。

残念ながら、そのひずみが見えてくるのは社会へ出始めてからの、ある程度大人になってから。

大学生くらいで顕著に出てくる場合もあれば、50代になってからでてくることもある。

このような悲劇を改善させるには、おとなの「いま」を扱っても改善されない。
やはり育ったころのことを扱わないで済ますことは難しい。
親として大事なときに適確ではない方法をを選んでそまったと言う点においては、大人になった子供に「もう大人なんだから」と言って責任放棄することはできないのだ。



とはいえ、
残念ながら、状況が悪化して、「ここから改善に向けて頑張る」と親がどき字に改善を求めて頑張っても難しい。
心改めて自力で子供を改善させよう、としても、もともとの始まりが合っていなかったわけであるし、第三者からの新しい風を取り入れずに行っても空回りして必ず失敗に終わる。

だからこそ改善させるためには心理カウンセリングが欠かせない。
専門家とともに親子で歩むことがとても大切なのだ。

そして、団結して望むことで必ず良い方向へ向かっていくのだ。

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