家族の誰かが自殺をすると
「なぜ、自殺をする前に相談してくれなかったのか」
「兆候は全く感じなかった」
「アイドルのコンサート・チケットを買ったばかりで、友達と待ち合わせなど話していたのに、自殺するはずがない」
「今朝まで元気だった」
「ナジられても、負けん気が強く明るい子だったからありえない」
「皆に頼られていた存在なのに死ぬはずない」
「貯金が1000万円もあるから、死ぬはずない」
などと、残された家族は思うものです。
上記の思いは、今回の清瀬市の自殺には関係ありませんが、多くの人は、すぐには自殺を受け止められない。楽しい旅行やコンサートの予定が入っているから、それまでは生きていたいはずだから、これは事件だ、事故だ、何かの間違いだ、と思う傾向があります。
でも、自殺をする人は、未来の楽しみよりも、苦しみから解放されるほうが望みなのです。
未来の10個の幸運を待つよりも、未来の2個の不運を避けたいのです。
それくらい、苦痛を乗り越える気力がないのです。
それくらい何事にも執着していないのです。
お金もきれいに使い切って、家具や絵画や雑貨も処分して、部屋をきれいにしてから死ぬなんて個とはないのです。
死んだときの諸費用を親に手渡してから死のうとする人なんていないのです。
遺言を残して死ぬのは、まだ良いほうなのかもしれないです。
死ぬ人にとっては、死のうと思ったら、相談なんて考えないし、死のうと思ったときは決断してしまっているから、相談の必要性も感じないのです。
「死ぬのはよくないよ」なんて言っても、当人には意味のある行為なのだから。
言い換えると、家族や周りの人たちが、「なぜ?」と言う前に、兆候をキャッチしていれば、その段階では、まだ相談でどうにかなった可能性はあったわけで、もっと言えば、死の宣告をする人は、「今は死ぬほど辛い、誰か助けて」というメッセージなわけだから、そのときは言い方次第では説得することはできるのです。
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