2009年11月27日金曜日

たった一度の優しさ

たった一度だけ優しくされたことが、絶大なる愛の証と
勘違いてしまうことがある。

中村玉緒が勝新太郎が死ぬ前に一度だけ人前で手をつないで歩いてくれた
ことがると言っていた。

それが最高の幸せと感じたといっている。

私にしてみれば、それは、虐待に感じてしまう。

これは死ぬ直前だったから美しいエピソードになったのだけど、
たった1回だけ優しくしたことを、さもありがたく思えと言わんばかりに
評価を押しけるようにしか感じない。
勿論そうする当人は、そう思ってほしいのだから、優しさを気軽に見せない
のだろうけれど。

でも、これは、自分だけが大好きで、自分本位で、相手を思いやっていない。

たった1回の優しさを過大評価してもらい、そのうえ自分がこれだけ優しいのだ
と知らしめたい。
「こんなに優しいのだから、僕を大切にしろよ」と言っている。
一度の優しさを強調するためにも、普段は冷たかったり、そっけなかったり、
心を軽視する態度だったり、亭主関白風だったり、暴力を振るってみたり、
暴言吐いたり、強制してみたり・・・。

暴力を振るわれた後に優しくされると、別れる気が起きないのと同じ。
たった一度の優しさが、大切になってしまう。


そんな関係は見たくもない。
もっと、自由に正直に相手を大切にしてあげればいい。
自分だけしかみえない関係は、本当の愛かどうか疑問に思う。
たった一度の優しさで得た幻の愛や評価より、本当の姿を評価してもらうほうが
本当の愛が勝ち得ると思える。
優しさを惜しまず素直に与えるほうが、心から理解してもらえると思う。

だから、優しさの押し売りはやめてほしい。


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